今日もお疲れ様です。今回取り上げるニュースはこちらです! 日本が韓国を併合したのを「違法だ」という賠償判決はおかしい!? どうして韓国はウソをついてるの?ネット上の反応も含めて詳しくご紹介していきますので、この動画を気に入っていただけた方は最後にチャンネル登録・高評価を頂けると嬉しいです。
韓国が出した賠償判決の中で、日韓併合が不法だという話があったんですけど、そのことについて反論してる記事が出ました!当時の朝鮮側がむしろ併合を望んでいて、日本としては慎重だったという話が書かれています。韓国はどういう根拠で違法だと判断したんでしょうか?
“日韓併合は違法”とする徴用工判決の奇怪
■「不法行為への慰謝料は協定外」という論理
9月10日、韓国の大法院(最高裁判所)は日本の三菱重工業に対し、第二次世界大戦中の元徴用工や女子勤労挺身隊員に賠償金を支払うよう命じました。去る8月30日に、やはり大法院が新日鉄住金への訴訟に対して下した判決を踏襲するものです。
2つの判決は、いずれも奇怪な論理構造をとっています。10月30日の判決文(*1)は、1965年の日韓基本条約に付随する形で締結された「日韓請求権並びに経済協力協定」の合意内容を認めています。「日本が韓国に経済支援を行うことで、この協定の署名の日までの両国及び国民の間での請求権は完全かつ最終的に解決される」という合意内容を、まず認めているのです。
その上で、協定合意の法的な取り決めをすり抜けるため、判決文では、日本の不法な植民地支配下でなされた強制動員への「慰謝料」として、請求権を認めるとされています。未払賃金や補償金などの民事的な請求は1965年の請求権協定により、日本に求めることができません。そのため、精神的な「慰謝料」という概念を新たに持ち出して、通常の民事的な請求と一線を画するとしたのです。
韓国大法院はこれらの判決で、徴用工の賠償権を認めるとともに、「日本の朝鮮統治が不法であった」とする、「歴史に対する弾劾」という大きな使命をも果たしているつもりなのでしょう。この「統治の不法」という論理をベースにすれば、慰安婦などの諸問題を「不法行為に対する慰謝料」という形で裁くことができ、今後、影響が大きく広がる可能性があります。
■日本統治を望んだのは当時の朝鮮側
しかし、歴史を振り返れば、「日本の朝鮮統治が不法」とするとらえ方自体に問題があることがわかります。日本の朝鮮統治は合法的に始まっています。1910年の日韓併合は朝鮮側(当時は大韓帝国)の要望によって、なされたものです。
「我が国の皇帝陛下(当時の大韓帝国の李氏朝鮮皇帝のこと)と大日本帝国天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」これは大韓帝国の開化派の政治団体「一進会」が、「韓日合邦を要求する声明書」(1909年)において述べた一節です。一進会はこの声明書の中で、「日本は日清戦争・日露戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし、韓国を独立させてくれた」と述べています。
当時の朝鮮では、無為無策の朝鮮王朝を見限って、日本に朝鮮の統治を託そうとした親日保守派が少なからずいました。金銭や利権に釣られて日本になびいた者も含まれていましたが、彼らの多くは日本の力を借りてでも、朝鮮を近代化させるべきだと考えていたのです。朝鮮の内閣閣僚も、李完用(りかんよう)首相をはじめとする親日派で占められており、日本の朝鮮併合を望んでいました。
これに対し、日本は元々、朝鮮の併合には慎重でした。韓国統監であった伊藤博文は「日本は韓国を合併するの必要なし。合併は甚だ厄介なり」と述べていました。朝鮮を併合してしまえば、日本が朝鮮王朝を終わらせることになってしまい、朝鮮人の反発を買うと懸念していたのです。朝鮮の親日保守派は、自分たちで朝鮮王朝の息の根を止めようとはせず、日本にその汚れ役を引き受けさせようとしていました。伊藤はその狡猾さを見抜いていたのです。
また、当時の朝鮮のような貧しく荒廃した国を併合したところで、日本には何の利益もなく、統治に要するコストばかりが費やされることは目に見えていました。
日韓併合を望んだのは韓国側だった?
また興味深い考察記事が出てきたね。雑誌社系はこういう特集記事が得意だ。
プレジデントという雑誌は普段見ないんですけど、面白かったので取り上げてみました!
日韓併合が違法という判決に対して論理的に間違いを正している記事だね。全部読むのは時間がかかるけど、非常に興味深い。
当時併合を望んだのは朝鮮側で、日本としてはむしろ慎重だったんですよね?
慎重派の伊藤博文くんに何てことをしてくれたんだ韓国は。俺は悲しいぞ。そのせいで併合へと大きく世論が傾くことになってしまった。
あの、大韓帝国って何なんでしょう?実はよく分かってなくて・・・。
そっちかよ。
大韓帝国(だいかんていこく)は、1897年から1910年までの間李氏朝鮮が使用していた国号。大韓国(だいかんこく)、韓国(かんこく))とも言った。また、現在の大韓民国(韓国)と区別 …
続きが気になります!
区別するため、「旧韓国(きゅうかんこく)」と呼ばれることもある。
朝鮮半島最後の専制君主国であるが、日露戦争後は日本の保護国となり、1910年8月の韓国併合によって滅亡した。
まあ大韓帝国というのは李氏朝鮮が使ってた国号に過ぎないわけで、李氏朝鮮自体がこの日韓併合で消滅したということになる。その動きに賛同していたのが「一進会」という名前の政治団体で、当時から親日派と言われていたようだね。
一進会って、どういう政治団体なんですか?
一進会と1919派の関連について調べようとしたんだが、李承晩が実は一進会の代表として当時の米国大統領に面会していたという情報が見つかった。俺は一進会は1948派の元になっていたと思い込んでいたんだが、どうやら複雑な裏事情があるもようだ。
ええっ?それってどういうことなんですか?
まあ要するに、李承晩は出世のためだけに思想をねじ曲げて様々な勢力を渡り歩いたという話じゃないかな。日本が米国との戦争に負けたので、転調して日本との歴史を否定する1919派についた方が有利だと考えたのかもしれない。
李承晩は戦勝国になりたくて親日派の過去を捨てた?
1919年に独立したことにすれば、戦勝国になれるということですよね?
そうだ。もしサンフランシスコ講和会議に呼ばれていたら、韓国は戦勝国として日本とは明確な待遇の差を受けることができたんだ。李承晩は戦勝国の大統領になりたいという思いから、親日派という過去をかなぐり捨てて1919派にすり寄ったのかもしれない。そもそも朝鮮は元々は親日だったんだぞ?
日本の一部だった、という話ではなく?
日韓併合の当時はむしろ李氏朝鮮側が併合を望んでいたというのが今回の記事だ。李氏朝鮮はすでに破綻状態にあり、それを助けてくれるのは日本しかいなかったと誰もが認識していたんだ。朝鮮の人達は日本国民の一員になれたことを喜び、愛国心を発揮していたこともある。95歳のお年寄りが併合時代はよかったと発言し事件になったことがその表れだ。
ありましたね・・・。ホントのことを言ってはいけないんでしょうか?
まあ今の韓国の人達は愛国心の方向性が間違ってるのは言うまでもないけど、戦前は愛国心をまったく逆の方向に向けていたことは意外と知られてない。このことを俺は“転調”と呼ぶことにしようと思う。李承晩も似たような思想の転換を経て1919派になびいたんじゃないかと思ってる。
でも確かに、ボクもやたらと褒めてくる人には注意しろ、って言われたことがあります!後で批判に変わるかもしれないって。
持ち上げて落とすみたいなことを平気でやる人は後を絶たないけど、要するに自分の望み通りにならないと正の感情がそのまま負の感情に向かってしまうような人だね。歴史にifはないというけど、もしも日本が太平洋戦争に勝っていたら朝鮮の人達は日本には愛国心を発揮しなかったと思うよ。
そうだと思います・・・。日本が戦争に負けたので、一緒にされたくないって思って急に戦勝国だって言い始めたんだと思います!
1919派を操る勢力は、朝鮮の人達のそういう感情に付け込み勢力の拡大を図ったというわけだね。実は太平洋戦争で日本が負けたのも、こういう”転調”が大きく作用していたとも言われている。有名なのが硫黄島での闘いで、日本軍が隠れている場所を次々と教えてしまった日本兵がいたという話だ。
ボクも多分同じ状況になったら、命だけは助けてもらいたいので、そうすると思います!その気持ちはよく分かります!
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