皇室に衝撃が 走った1週間 小室圭さん 緊急帰国へ

ラジオ日本

久子さま「紀子さん、いい加減にしてください」  雅子さまを愚弄し続けた秋篠宮に“涙のご叱正”

11月8日に無事執り行われた「立皇嗣の礼」。秋篠宮殿下が皇嗣(皇位継承権一位)となったことを国内外に宣明する儀式であり、「立太子の礼」に準じて執り行われる。秋篠宮殿下にとっては一世一代のめでたい晴れ舞台だった。現在のような神前での立太子礼(立皇嗣礼)は、大正5年(1916)の11月3日、裕仁親王(16歳)のために初めて執り行われたものであり、必ずしも古い伝統に根ざした儀式ではない。明治42年(1909)に制定された「立儲令」に基づいたものである。

だが、皇太子の証である壺切御剣は、平安時代前期の醍醐天皇(敦仁親王)が宇多天皇から拝受されて以来、代々の皇太子に相伝されてきたものである。天皇に三種の神器(草薙剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉)があるように、皇太子にも壺切御剣がレガリアとしてある。尤も「受け取る」といっても儀礼的なもので、儀式で使わないとき壺切御剣は皇居内に造成された山里御文庫の一角にある御剣庫に収納される。

このように“立皇嗣の礼”はあくまで儀礼的なものであり、秋篠宮殿下の法律上の地位は昨年5月1日の時点で既に「皇嗣」だ。だが“立皇嗣の礼”を経なければ、宮中での扱いはまだ「暫定的」なものにとどまる。この“立皇嗣の礼”へ経てようやく宮中三殿に昇ることが叶い、陛下の傍らで儀式の奥義を継承していくことが許されるのだ。

晴れやかな“立皇嗣の礼”が終わるとともに待ち受けていたのは、眞子さまの“お気持ち”公表だった。11月13日の定例記者会見で、眞子さまは
小室圭さん緊急帰国へ

このように“立皇嗣の礼”は極めて重要な儀式である。昨年から続く御代替わりに伴う一連の儀式の最後を飾る国事行為となる。コロナ禍が収まりきらない状況での挙行となるため、参列者は350人から50人に絞り、祝宴は取りやめとなった。これなら安心無事に行える——と思いきや「招かれざる客」に秋篠宮家はおびえているという。さる秋篠宮家付き職員に話を伺った。

「小室圭さんが、緊急帰国して“立皇嗣の礼”に飛び入り参加するのではないかと囁かれています。というのも、11月8日の“立皇嗣の礼”の前に、眞子さまのお誕生日が10月23日に控えています。この2週間弱のあいだに、眞子さまと小室圭さんが『結婚します!』と記者会見し、“立皇嗣の礼”で眞子さまの引導役になり、国内外に『女性宮家ができれば自分も皇族になるよ』と宣明するという筋書きです」これまで世間を仰天させてきた小室家だ。今さら何が起きても驚かない——という空気が宮内庁には漂っているらしい。一方、元宮内庁職員の小内誠一さんは次のように述べる。

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