天皇陛下が美智子様に“母親の姿”への言葉で一同衝撃…天皇陛下は皇居でお田植えに参加される中、御代替わり前からの終活にも国民から賛否が

ラジオ日本

ある皇室記者は美智子さまは紀子さまたちがメディアをにぎわすたびにもうだめねとポツリとおっしゃっていたそうです。お昼のお茶会などでお二人がお話しされる姿も見受けられなくなりましたと話します。

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昨年3月に銭湯仮御所へ転居された美智子さまですが体調面では5月以降ほぼ毎日微熱が続きまた乳がん手術後のホルモン療法の影響か左手指にこわばりがありスムーズに動かず楽しみにしていたピアノを弾くことができなくなられています。まさに満身創痍の状態で新型コロナウイルス対策のために外出は控えおこもりになっていらっしゃるそうです。そんな美智子さまに落ちちゃったという天皇陛下の言葉が話題となっています。

2年前に100年以上ぶりとなる生前退位をされ現在は天皇ご一家と住まいを交換されるために仮御所で静かに過ごされている上皇ご夫妻。仕事を離れて趣味や研究に没頭される様子は世間一般の定年後の夫婦の姿に近いものです。また上皇ご夫妻は退院前から就活にあたることもされていたそうです。

さかのぼること30年以上前昭和天皇が薨去されると前例にしたがって葬儀が執り行われました。儀式はすべて古くからのしきたりに則ったもので壮大かつ長期間に渡ったため国民への影響があまりに大きく美智子さまはそのことに大変驚かれたといいます。

その一方で平成の時代の皇室に求められたのは戦時中とは違い国民を優先し国民の中に自らが入っていくことで敬愛される新しい形でした。その時から上皇様と美智子さまの人生の仕舞い方への取り組みが始まったそうです。平成24年4月26日はけた宮内庁長官は定例会見で両陛下のご意向として逝去の際はご自身を火葬にされることなどを望んでいらっしゃると発言しました。これは葬儀の簡略化に対する方針の発表すなわち両陛下からの生前の遺言であると捉えられました。

翌年平成25年には宮内庁長官に就任した風岡氏が記者会見で上皇様と美智子さまの逝去の際や陵についての方針を発表しました。昭和天皇の時と違って国民生活への影響を極力減らすことを望まれる上皇様と美智子さまのご意向を受けたもので国民とともに歩み尽くしてこられた平成流の両陛下の集大成といっても過言ではない内容でした。

その中で陵は昭和天皇陵より小さくし天皇陵と皇后陵寄り添うように配置することとそうではなく火葬にすることが明言されました。しかしここで大切なのはすべての皇室儀礼を変えようとしているのではないことです。

皇室のみにしかできない祭祀や儀礼を守りつつ国民に影響を与える部分のみ整えていこうとされたのです。昭和から平成の皇室のあり方の変化とも対応する決断といえるでしょう。こうして人生のしまい方の方針をお決めになった上皇様と美智子さま。その姿勢は多くの称賛を浴びていましたがその一方で多くの批判も浴びています。その最たるものが雅子さまと紀子さまへの対応の大きな違いです。美智子さまといえば長年紀子さまと仲睦まじくされていました。

納采の儀で紀子さまがお召になった振袖は美智子さまがご用意なさったものでしたが。に対してはご結婚を反対されたとも言われます。その後も紀子さまやその娘としてお生まれになった眞子さまをご公務や養蚕に伴って多くを学ばせる一方で適応障害で苦しむ眞子さまに救いの手を差し伸べることなく触らぬ神に祟りなしとばかりに二人で距離を置かれるとともに愛子さまには学校にも行けない公務もできないなんて皇族として失格とばかりに冷たく当たられたと言われます。

平成の時代を通して美智子さまにとって紀子さまは素晴らしい活躍をなさる方であり雅子さまは次期皇后でありながらその務めを果たせそうにない存在でありました。メディアもそのように国民をあおりましたがその報道に美智子さまや紀子さまのご意向があったという噂まであるほどです。

しかし風向きが一気に変わったのは眞子さまとご婚約が内定している小室啓さんの金銭トラブル問題。騒動が勃発すると美智子さまは今度は紀子さまに助け舟など出すこともなく距離を置かれるようになったといいます。

ある皇室記者は美智子さまは紀子さまたちがメディアをにぎわすたびにもうだめねとポツリとおっしゃっていたそうです。お昼のお茶会などでお二人がお話しされる姿も見受けられなくなりましたと話します。

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